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失敗続きだったが最後に成功した経営者の逸話3選

失敗ばかりだったが最後に成功した経営者の逸話3選

世の中には最初の事業でいきなり大成功を収める経営者も居ますが、そのような例は稀です。多くの場合ビジネスには失敗や挫折はつきもので中々うまくいかないものです。何度も何度も失敗しても、あきらめずに立ち上がりついには大業を成した経営者がいます。この記事では、失敗続きだったけれども最後に大成功した経営者の逸話を紹介します。

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1. ウォルト・ディズニー – ディズニー

  • 父の農場が倒産
  • 広告デザインの仕事をはじめたが、契約更新を打ち切られて失業
  • 会社を設立したが資金繰りがうまくいかず倒産
  • 再び会社を設立して順調に仕事をこなしたが仲間を他社に引き抜かれ残った社員は1人だけに
  • その後ミッキーマウスを産み出し、映画が次々ヒット。ディズニーランドを設立した

みんな大好きディズニーの創始者ウォルト・ディズニーも波瀾万丈の人生でした。

ウォルトの父はミズーリ州で農場経営をしていましたが業績が悪化し農場を手放すことになります。その後、一家はカンザスシティに移り、父は新聞配達店を経営します。ディズニーは新聞配達の仕事を手伝わされましたが小遣いをもらえなかったので他にアルバイトもしていました。

高校生になったウォルトは昼は高校に通い、夜は美術学校に通いました。ボード・ビルショーにも通い、1940年にアニメ映画を制作するころには、書き溜めていたギャグの数は150万個にもなっていたそうです。

1914年、ヨーロッパで第1次世界大戦がはじまりウォルトは赤十字の衛生兵として戦地に赴き、負傷兵の手当と輸送に従事しました。同じ衛生隊には、マクドナルド・ハンバーガーを世界的なチェーンに展開させたレイ・クロックもいました。

帰国後、兄の紹介でアートスタジオでの広告デザインの仕事を始めました。後にパートナーとなるアブ・アイワークスと出会いましたが2人そろってアートスタジオの契約更新をされずクビになりました。そこで、彼らはデザイン会社「ウォルト・アイワークス・カンパニー」を立ち上げます。

おとぎ話をアニメ化して売り込むと、ニューヨークの映画配給会社が気に入ってくれ6本の映画を完成させましたが、その配給会社は倒産し代金は未回収となってしまい会社は倒産しました。

このあと、フリーとなったウォルトは書き溜めていたギャグを活かした短編アニメ映画を製作しました。その作品が売れ、兄と共に再び会社を立ち上げました。経営は順調に進み、社名を「ディズニーブラザーススタジオ」から「ウォルト・ディズニー・スタジオ」に変更しました。兄が「このほうが響きがいい」と提案した為です。

安定的な取引のあった配給会社から値下げ交渉をされウォルトは断りました。すると、配給会社はウォルトの会社の社員を引き抜いてしまいました

倒産寸前に追い込まれたウォルトはめげずに新しいキャラクターを創造しようとスケッチブックに向かいます。そこででき上がったのが「ミッキーマウス」でした。

映画で成功を収めたウォルトは1948年ごろからテーマパークの建設を具体化させ、1955年7月17日にディズニーランドが正式にオープンしました。そしてウォルトは65歳で亡くなりました。

ウォルト・ディズニー名言集

  • 夢をかなえる秘訣は、4つの「C」に集約される。それは、「Curiosity – 好奇心」「Confidence – 自信」「Courage – 勇気」そして「Constancy – 継続」である。
  • 夢を求め続ける勇気さえあれば、すべての夢は必ず実現できる。いつだって忘れないでほしい。すべて一匹のねずみから始まったということを。
  • 何かを始めるためには、しゃべるのをやめて行動し始めなければならない
  • 正直に自分の無知を認めることが大切だ。そうすれば、必ず熱心に教えてくれる人が現れる。
  • 新しいプロジェクトをひとたびやると決めたら、とことん信じ込むんだ。うまくやる能力があると信じるんだ。そして、これ以上はできないという最高の仕事をするんだ。
  • 現状維持では、後退するばかりである。

2. カーネル・サンダース – KFC(ケンタッキー・フライド・チキン)

  • 仕事を転々とし40以上の転職を経験した
  • ガソリンスタンドを経営していたが2回倒産した
  • 65歳で無一文からフライドチキンのレシピ販売の営業をはじめ1,500回断られた
  • 74歳でフランチャイズ権を売却したときには加入店舗が600を超えた

日本のあちこちで見かける「ケンタッキー・フライド・チキン」はカーネル・サンダースが65歳のときに立ち上げた会社です。

ケンタッキーの前にはサンダースオジサン像を見ると華やかな人生を送ってきたのだろうなという印象を受けますが、じつはかなり破天荒な道を歩んでいます。

カーネルは13才で学校に行くのをやめて仕事を転々としていました。16才で鉄道会社に入ったカーネルは、仲間の社員が鉄道の事故でケガをしたのに、お金をはらわない会社に反発。抗議をして会社を追い出されてしまいます。

22才で弁護士の事務所で働きますが、ある裁判で弁護する人と揉めて殴られました。それに怒ったカーネルはイスを持ち上げ、相手に投げようとします。この行動が問題視され弁護士事務所を退職します。

カーネルは短気で喧嘩ぱやく、口も悪い人柄だったようです。そのせいか仕事に就いてもすぐ辞めるを繰り返したようで車掌、陸軍への入隊、鉄道の機関車修理工、ボイラー係、機関助手、保線区員、保険外交員など、40にもおよぶ職を経験しました。

タイヤのセールスをしていたときに知り合った石油会社の支配人から、ガソリンスタンドの経営を勧められカーネルはガソリンスタンドの経営者として独立します。

このガソリンスタンドは当初かなりの成功を収めていました。ガソリン給油のほか、サービスとして窓ガラスの清掃や、ラジエイターの水やタイヤの空気圧の点検を実施しケンタッキー州で評判となりました。40以上の転職によって培われた顧客ニーズの把握力と行動力が活かせていたのかもしれません。しかし、大恐慌によりガソリンスタンドは倒産してしまいました。

その後、シェル石油からガソリンスタンド経営を持ちかけられ再びガソリンスタンドの経営をおこないます。その際にガソリンスタンドの敷地内にカフェレストランを建てました。これが好評で特にフライドチキンが人気商品でした。

しかし、1956年に近くに高速道路ができ、みんながそちらを通るようになったためカーネルのガソリンスタンドに客が寄り付かなくなり再び倒産してしまいます。

カーネルは65歳のときにレストランの人気メニューだったフライドチキンのレシピを売ることに決めました。

最初はなかなかうまく行かず1,500回断られたという逸話もあるようです。

それでも粘り強く飛び込み営業を続け、営業先のレストランの裏口で従業員たちに試作品を食べてもらい、その店の調理場を借りると、フライドチキンを無償で客に提供しました。こうした地道な営業活動によりカーネルのフライドチキンは評判を呼び、契約を求めるレストランが増えていきました。

こうしてカーネルはケンタッキー・フライド・チキンのフランチャイズ化に成功しました。74歳になってフランチャイズ権を売却した時には600店舗まで増えていました

カーネル・サンダース名言集

  • 人生は自分でつくるもの。遅いということはない。
  • 私がやったことなど、誰にもできる事だ。ポイントはただ一つ。心から『やろう』と思ったかどうかである。心が思わないことは、絶対に実現できない
  • 他の人に一生懸命サービスする人が、最も利益を得る人間である。
  • 走るのを止めた人間は、そこから一気に坂を転げ落ちるものだ
  • 勤勉さを忘れ、自分の失敗について世間を責めて過ちを正当化しようとしてはいけません

3. ヘンリー・フォード – フォード

  • トーマス・エジソンと出会い励まされる
  • 会社の倒産や追放を経験
  • 流れ作業による大量生産の方法を開発

ヘンリー・フォードは16歳のときデトロイトで見習い機械工として就職し、紆余曲折を経て、総合電機メーカーのウエスティングハウスに蒸気機関の修理工として採用されました。

1891年、エジソン照明会社の技術者となり内燃機関の実験に携わりました。ヘンリーは1日12時間勤務し、帰宅してからも自宅につくった作業場でエンジンの研究をしていました。

1896年にヘンリーは自作4輪自動車の製作に成功し、トーマス・エジソンに初めて会いました。エジソンは自動車への夢を熱く語るヘンリー・フォードを励ましたとのことです。

35歳のときにエジソン照明会社を辞め、翌年デトロイト自動車会社を創業しました。しかし生産した自動車は低品質で高価格だったため21台販売したのち倒産しました。

ウィリアム・H・マーフィーから支援を受け「ヘンリー・フォード・カンパニー」を新たに立ち上げました。ヘンリーはチーフエンジニアになりましたがマーフィーたち経営陣と理念の対立を起こし会社を去りました。

今度は石炭業者のマルコムソンや機械メーカーのダッジ兄弟などから資金提供を受け、1903年、40歳のとき「フォード・モーター・カンパニー」を設立しました。1908年に製作されたのが「T型フォード」です。フォードが理想とした「安価」「操作が楽」「修理も容易」という大衆車は大ヒットしました。

そしてフォードの自動車はアメリカで大きな存在となり、ヘンリーは栄光をつかみました。

  • 努力が効果をあらわすまでには時間がかかる。多くの人はそれまでに飽き、迷い、挫折する。
  • 事実がたとえわかっていなくとも、とにかく前進することだ。前進し、行動している間に、事実はわかってくるものだ。
  • 失敗とは、より賢く再挑戦するためのよい機会である。まじめな失敗は、なんら恥ではない。失敗を恐れる心の中にこそ、恥辱は住む。
  • 決断しないことは、ときとして間違った行動よりたちが悪い。

まとめ

3名とも偉人であることに変わりありません。3名に共通して言えることは1度や2度の会社倒産レベルの挫折や苦難を乗り越えて前へ前へと突き進んだ。これに尽きると思います。

成功するまで続ければ失敗は失敗にならないを体現していますね。やはり継続は力なりです。このブログも継続的に更新して何の効果も出ないブログで終わらないようにしたいと思います(笑)